清華大学 Schwarzman Scholars 留学記

2019年9月より清華大学(Schwarzman Scholars)に留学。日々感じたことを綴っていきます。

入学式

色々と授業に追われていたら完全にブログを更新するタイミングを逸してしまいました…。

9月第1週より授業が始まっており、新たな生活リズムにもようやく慣れ始めてきています。

 

さて、1か月ほど前の話になってしまいましたが、写真を中心に簡単に入学式を振り返りたいと思います。

Schwarzmanの学生は、①清華大学の大学院全体(MBAや公共政策など、あらゆる修士課程を含んだもの)の入学式と②Schwarzman Scholars独自の入学式の2つに参加します。

 

①は総合体育館にて開催。3時間座りっぱなしで、ありとあらゆる人の話を聞く、と
いう正直結構苦行に近いイベントでした。

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印象深かったお話は、

  • 大学院生全体のうち、36%が女性。また、8割の学生が清華大学以外で学士を取得してから大学院に入学。清華大学の多様性を表している。
  • 2020年までに世界の一流大学の水準に達し、2030年にはその最前線に立ち、2050年には世界トップの大学となることを目指す
  • 清華大学は学業に限らずスポーツも非常に重視。泳げなければ学部は卒業できない(笑)※大学院はそんなことありません

水泳の必修化は最近のことのようですが、スポーツを重視するのは清華大学の伝統のようです。「無体育、不清華(スポーツなくして清華は語れない)」という大学のスローガンも存在します。

尚、各大学院についてもスライドを用いて簡単に紹介がされます。

Schwarzman Scholarsも以下の写真の通り、「中国社会や文化を理解した、国際的な視野を持つ未来のリーダーを育成することが目的」との主旨の説明がありました。

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Schwarzman Scholarsについての説明

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入学式後、大学の看板の前にて

 

そして②のSchwarzman Scholarsの入学式は、学院内の小さな講堂にて開催。はるばるNYから足を運んでくださったSchwarzman氏からも、式辞を頂きました。

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Schwarzman氏のお話で特に心に残っているのは、同氏を一番モチベートした存在として高校の陸上部でのコーチを挙げていらしたことです。常に人より少しでも多く努力すること、それを継続することで卓越した存在になれる、という学びを得たとのこと。「世界一のマネーマスター」との異名を取る同氏であっても、小さなことの積み重ねを大事にしているのだと改めて実感しました。

 

さて、こちらでの授業が開始してから明日で早くも4週目となります。授業で得た気づきや、学院内の様子なども今後(もう少し頻繁に)更新していければと思います。

 

(↓入学式後の立食パーティーにて提供されたお食事。Schwarzmanのロゴがあしらわれており可愛かったです。)

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オリエンテーション③ ~ビジネスマナー~

オリエンテーションの中で、相互理解やリーダーシップの次に重点が置かれていたのが、ビジネスマナーです。

 

ビジネスマナーに関する簡単な講義もありましたが、特に印象に残っているのはMocktailと呼ばれるイベント。「模擬(Mock)+カクテル(Cocktail)」ということで、ビジネスの場における(婚活とかでも使えると思います)立食パーティーにてどのように振る舞うべきか、模擬イベントを通して学ぶものです。

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学院のCourtyard内で開催されたMocktail


イベントには現役生のほか、Schwarzman Scholarsの卒業生も15名ほど参加。現役生は「30分間で最低2人の先輩と話すように」との指示をスタッフから受け、30分間の模擬カクテルパーティーが開始します。本物のパーティーさながら、飲み物やフィンガーフード等も提供されます。

 

まず驚いたのが、欧米人の中にもカクテルイベント(立食パーティー)に苦手意識を持つ人が結構いる、ということです。

正直なところ、欧米人は総じてフレンドリーであり、初対面の人が大勢いる場でも自信を持って振る舞え、こうしたイベントは余裕なのだという超偏見に満ち溢れた印象を持っていました。しかし、同級生と話していると「こういうの本当苦手~。誰に話しかけに行く?一緒に行こうよおお」というような、日本人っぽい(というのも偏見なのでしょうが)発言が多くあり、なんだ、皆はじめはそんなもんなのか…と少し安心。

 

そして30分後、先輩方からたっぷりフィードバック。

  • 会話への入り方(相手に受ける30秒程度の自己紹介を考えること、等)
  • 会話からの抜け方(「飲み物取ってきますけど、いりますか?」と言ったら100%相手は断るからそのまま逃げる、お手洗いに行ってきますと言って逃げる、等。笑)
  • 相手の名前をきちんと覚えて会話の中でメンションする、会の後にメール等できちんとお礼をする
  • 自己主張しすぎない/会話に入れていない人に話を振る
  • 右手で握手することを想定し、名札は右胸につけ(握手した際に自然と目線に入る)、フィンガーフード等を食べる際には極力左手で食べる(笑)

などなど、非常に細かな点まで指摘をもらいます。

 

日本の会社では、名刺交換や電話応対などはきちんと指導してもらえるものの、こうした社交の場での振る舞いについては本人任せのところが多いのではと思います。私としても初めての機会で、非常に勉強になりました。

通常業務をしっかりこなすことも無論重要ですが、こうした場を活用したネットワーキングも、仕事の発展に大きく貢献するのでしょう。自身の得意分野として使いこなせるかで、将来の人脈にも大きな違いが出そうです。

学院のスタッフも、「こういう所で何も考えなくても自然に振る舞える人もいるけど、慣れるまで練習が必要な人もいるよね。経験を積んで、うまく振る舞えている人を見て、学んでいくように」とコメント。

欧米の方の堂々とした振る舞いは、天性の才能によるものではなく、経験と練習の賜物なのだと痛感しました。また、社会に出る前からこうした場を与えてくれるのは、さすが米国、と感心。
日本も婚活の指南イベント(?)等はあると聞くので、ビジネスにおけるネットワーキングについても、体系的に教えてくれるものがあってもいいのになあと思います。


未だにこうした場に私は苦手意識があり、入場した途端に知り合いを全力で探す/気まずくなったらトイレに逃げるw習性はありますが、ゆっくり克服していければと思います。

オリエンテーション② ~リーダーシップとは何か~

映画からオリエンテーションに話を戻しましょう。

 

オリエンテーション後半戦、最も重点を置かれたのはLeading Livesという名のワークショップでした。3日間、合計8時間ほどかけて取り組むワークショップで、

  • リーダーとはどうあるべきか/リーダーが重視すべき価値観、
  • 人の話を「聞く」とはどういうことか、
  • これまでの人生を振り返って、どのように自分自身が困難に対処してきたか、
  • 学院内ではどのような困難に直面する可能性があるか、
  • どのようにその困難に対処していくべきか、

等について7~8人で議論をします。

 

印象に残ったのは「調整型リーダーシップ」が徹底重視されていた点です。

リーダーシップと聞くと、私は周囲をぐいぐいと引っ張れるカリスマ性をぱっとイメージするのですが、今回のワークショップでは所謂「調整型リーダーシップ」の重要性を篤と説かれました。

学院内のダイバーシティを考えれば、強烈なビジョンを示して他者の共感を得ながら物事を進めていくよりも、相手の話にきちんと耳を傾け、相手と自分の意見にどのような違いがあり、その根本的な原因を考え、組織にとってベストな解を導けるリーダーの方が重要なのかもしれません。

 

相手のことを理解する力を得る、ということで、ワークショップでもかなり長時間を割かれたのが「Active listening」というコーナー。(日本語だと「積極的傾聴」とも訳されるようですね。)

人の話を聞く際、

  • 自分は相手の話を途中で遮っていないか?
  • 相手の話に割り込んで自分がその話の結論を出してしまっていないか?
  • 相手の話の途中で自分の回答を頭の中で用意していないか?また、まったく別のことを考えていないか?
  • 会話の直後であるにもかかわらず、相手の発言を思い出せないことはないか?
  • 自分の発言が会話の60%以上を占めていないか?

等の項目が記載されたチェックリストを渡され、自分の聞く態度についてリフレクションをします。

その後、ペアになって相手の家族や故郷の話を聞くのですが、その際に「Active listening」、即ち相手の話にきちんと耳を傾けることで、話者自身も自分と正面から向き合う機会を持つ、という実践をすることが求められます。

弁が立つ同級生が圧倒的に多い中、このActive listeningに苦労した人も多いようです。どうしても話の途中で口を挟みたくなってしまう、とか。恐らく自分の意見を表明することの重要性を叩き込まれてきたことが多いに関係しているのではないかと思います。
私はといえば、人の話を聞いている時間の方が比較的多いタイプですが、「自分が喋らない=良いリスナーである」という等式は成り立たないと痛感しました。特に英語だと、どう質問を返し、自分の意見を言うか頭の中で考えがちです。


もしかしたら、米国をはじめとした多くの国において、これまで自己主張を重視しすぎたために相手を理解する姿勢が欠如し、問題解決から遠ざかってしまったという反省があるのかもしれません。
日本でも書籍「聞く力」がベストセラーにもなりましたし、これからはこの「Active listening」が更に大きなブームになる可能性もあるでしょう。

 

相互理解においては素晴らしいことだと思います。但し、「聞く力」の(過度な)重視による弊害があるとすれば、今度は自分の意見を持たない/主張できない人になってしまう可能性があるところでしょうか。そう考えるとまた何年後かには「主張する力」への揺り戻しも起こり得るでしょう。

結局、リーダーをリーダーたらしめる能力とは、聞く力と自己主張のバランス感覚なのだろうと思います。そしてその感覚とは後天的に獲得できるものであり、自分とかけ離れた価値観を持つ人々との経験を積み重ねていくことで、身に着けていくことができるのでしょう。自分と違う考えとの対峙は時に苦痛を伴うものでもありますが、積極的に実践していきたいと思います。

映画「アメリカン・ファクトリー」

オリエンテーション後半戦も終了しつつある…のですが、いったん北京で見た映画に話題を変えたいと思います。

 

米国人の同級生が主催してくれたMovie nightにて、netflixの映画「アメリカン・ファクトリー」を鑑賞しました。

米中の対立が激化する今、その解決がいかに困難か、ユーモアと皮肉たっぷりに提示してくれる名作です。国の対立という一見壮大なテーマが、米中の個人レベルでの衝突に落とし込まれており、視聴者も親近感を持ちながら鑑賞できます。

尚、本作はオバマ前大統領夫妻が設立したHigher Ground Productionsの第一作目です。

「american factory netflix」の画像検索結果

 

2008年、リーマンショックの煽りを受けてGMオハイオの工場が閉鎖。8年後、中国の巨大ガラス企業、福耀(フーヤオ)のCEOが5億ドルを投じ、工場の操業を再開します。

GM工場閉鎖によって職を失っていた人々に希望を与え、地域経済の活性化も多いに期待されたものの、文化や働き方の違いにより米中の関係者は衝突、労働者がデモを始めるまでに関係は悪化。この状況に両者は何を感じ、どう対応していったのか、現場の裏側を取材しています。

米国関係者が中国の本社工場を訪れた際、中国人のintenseな働き方(軍のように点呼をとる様子など)や、春節の宴会の文化等にあっけに取られる様子は笑いを誘います。米国人の同級生も爆笑でした。

はじめは笑いごとで済まされる文化の相違も、労働者の働き方や安全な環境の確保にまで及ぶと事態は深刻化します。中国的には「当たり前」の働き方であっても、GM時代と比較して賃金は低下し、労働時間や事故は増える一方。労働者の不満は蓄積していきます。

 

私が本作で一番強い印象を受けたのは、中国人経営者が中国人労働者に対する講義にて、
「米国人は過剰なまでに褒められることに慣れてしまっており、自信過剰である。基本的に彼らは無能な人が多く非効率なことが多いが、褒めながら物事を教えていくように」との趣旨の内容を発言したシーンです。

 

なんたる傲慢さ。自国の文化、考え方、習慣が絶対的に正しいことを信じて疑わない姿勢は呆れを通り越して清々しさを感じてしまう程ですが、中国内で成功した多くのビジネスマンの間では共通認識なのかもしれません。

米国側のマネジメント層の間でも、中国人の考え方や文化が理解不能といった様子はあるものの、「あいつら馬鹿だからな」的な中国蔑視の発言はあまり出てきません(米国の製作会社の作品だからかもしれませんが)。多文化共生社会の米国の方が、違う文化を尊重することについては長けているのかもしれません。

 

本作を見た米中の観客が、目下の米中の衝突を解決できるとの希望を持ち、両国のビジネスを発展させていきたいと考えるか?正直NOでしょう。しかし、本作が米中の相互理解の一助となることは間違いありません。

中年の経営者世代になってから初めて相手の文化を一から学んでいくことは、若い世代が思う以上に難しいことなのかもしれない。
Schwarzman Scholarsのような世界各国の若いリーダーの交流を促進するプログラムは、数十年後にもその価値を大いに発揮するのかもしれない、と思ったMovie nightとなりました。

 

オリエンテーション① ~「マイノリティ」であること~

北京に到着しました。
羽田空港で荷物を預けた後、スーツケースの鍵を自宅に忘れたことに気づき、夫に取ってきてもらうという珍事を起こしたりもしましたが(夫よ、ありがとう。。。)、なんとか事なきを得て留学生活のスタートを切れています。

 

早速オリエンテーションが始まりました。学生はほぼ初対面に近い状態ですが、コミュニケーション能力の塊のような人ばかりで、凄まじいスピードで親睦を深めています。私は7年ぶりの海外留学でかなり不安があったものの、非常にフレンドリーな同級生に恵まれ、楽しい日々を過ごしています。

 

オリエンテーション自体は、一般の留学プログラムのそれと大きく異なるものではなく、異文化や中国独特の社会習慣を理解すること、また人生の目標を設定し、その実現に向けどのように行動すべきかを考えることにフォーカスが当てられています。グループワークがプログラムの太宗を占め、文化の違いにより生じ得る問題や対処の仕方についてカジュアルに話す時間が重視されています。

大学によると、学生の4割弱が初めて中国に足を踏み入れたとのこと。長期間、母国を離れて生活するのが初めて、という学生にも多く出会いました。文化的背景は言わずもがな、依って立つイデオロギーも大きく異なる学生同士が1年間共同生活をするにあたり、他者を否定せずに理解しようとする努力はやはり最重要となるのでしょう。

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オリエンテーションの幕開け、welcome meetingにて

シュワルツマン・スカラーズの一つの持ち味は、「全員が何らかのマイノリティであること」と言えます。
一般的には、大学の所在国の学生が人数比においてもマジョリティを占め、大学の文化を形作ります。一方、シュワルツマン・スカラーズは中国のプログラムながら、米国人が40%を占め、「人数的には米国がマジョリティだけど、環境的にはアウェー」です。中国人学生にとっても、ここがホームではあるものの人数比はせいぜい20%程度。どの国籍の人も何かしらのマイノリティ意識を感じるようになっているところが、謙虚に相手の文化について学ぶ一助となるのではと思います。

私自身、大学時代に1年間の米国留学をした時と比べても、圧倒的に居心地の良さを感じています。自身の英語力が当時よりは高いこと(今もかなり苦労していますが…)、社会人としてのある程度の経験を積んだという個人的な事情に加え、この「誰もがマイノリティ」という環境が、謙虚さと自信を同時に与えてくれるように感じています。

 

一方、中国で生活をする上で特徴的と言えるのは、やはり言論統制に対する注意でしょう。中国で生活をしている人にとっては至極当然のことなのでしょうが、Wechat(中国版LINE)上では全ての会話が中国当局に監視されていることを前提とし、超えてはならないレッドライン(政治的に敏感なトピック全般、新疆ウイグルの人権問題等)をきちんと認識すべきとのアナウンスがされました。もちろん学院内での言論・学問の自由はきちんと担保されていますが。

 

オリエンテーションはまだ始まったばかり。あと1週間半ほど続きます。また後半戦についても追って書き残したいと思います。

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「空母いぶき」に思うこと

最近は出発までの準備で映画を見る暇もなくなってしまったのですが(アラジン見たかったなあ…)、少し前に映画「空母いぶき」を見てきました。かわぐちかいじさん原作の同名漫画が原作、主演は西島秀俊さんです。

「空母いぶき 映画 公式」の画像検索結果

あらすじ(公式HPより抜粋)

20XX年、12月23日未明。未曾有の事態が日本を襲う。沖ノ鳥島の西方450キロ、波留間群島初島に国籍不明の武装集団が上陸、わが国の領土が占領されたのだ。海上自衛隊は直ちに小笠原諸島沖で訓練航海中の第5護衛隊群に出動を命じた。その旗艦こそ、自衛隊初の航空機搭載型護衛艦《いぶき》だった。計画段階から「専守防衛論議の的となり国論を二分してきた《いぶき》。艦長は、航空自衛隊出身の秋津竜太一佐。そしてそれを補佐するのは海上自衛隊生え抜きの副長・新波歳也二佐。現場海域へと向かう彼らを待ち受けていたのは、敵潜水艦からの突然のミサイル攻撃だった。さらに針路上には敵の空母艦隊までもが姿を現す。想定を越えた戦闘状態に突入していく第5護衛隊群。政府はついに「防衛出動」を発令する。迫り来る敵戦闘機に向け、ついに迎撃ミサイルは放たれた……。
息もつかせぬ展開と壮大なスケールで描かれる、戦後、日本が経験したことのない24時間。日本映画界を代表する俳優陣が集結して贈る、超ド級のエンタテインメント大作がここに誕生する。

結論、宣伝通り「エンタテインメント」作品としては非常にスリリングで面白かったですが、原作を読んでから見たためか、多少の違和感を覚えました。軍事のテクニカルな面についてはそもそも知識があまり無いため特段の指摘はできないものの、違和感の原因は、恐らく原作とあまりに違う設定、そして第三者(特に敵)の目線の欠如です。

 

原作と違う設定

原作では中国の工作員による尖閣上陸/占領が日中間の軍事衝突の発端となるわけですが、映画では中国をはじめとした周辺国への配慮から、「国籍不明の武装集団」が「(存在しない)波留間群島初島」に上陸するとの設定になっています。仕方がないとは言え、ここで一気にリアリティが無くなってしまいます。

恐らく原作は、

  • 急速な中国の軍事力の拡大や南シナ海等での度重なる軍事行動等を踏まえて、日本として米国に依存した安全保障を維持していくべきなのか?
  • 日本における「軍隊(軍事力)」はどうあるべきなのか?
  • 専守防衛の徹底が日本を守るベストな手段なのか?

といった問題提起をすることを意図して描かれたものと思うのですが、映画ではそもそもの前提にリアリティが無いため、SFモノのように「自衛隊vs悪の勢力」という対立描写で終わってしまっています。

 

三者(敵)の目線の欠如

原作では敵(中国)側の軍人や政府高官の描写があり、敵も血の通った人間であることが表現されていますが、映画では殆どありませんでした。一度敵の顔と表情が見えるシーンもありますが、人種すらもよくわからないような描写でした。

子供向けアニメのような「正義vs絶対的悪」という構図にあてはめるのではなく、敵の立場の人間も同じように守るべき家族を持ち、死を恐れ、本来的には平和を望んでいる存在であることをしっかり明示する必要があったのではと感じます。

一般市民や女性が戦闘についてほぼ無知な存在として描かれることも、多少なりとも違和感があります。「総じて戦闘の実態を知らない国民」という状況の説明をしているだけであり、無駄に長い。また、混迷を極めているであろう他国との外交交渉や支援取り付けについての描写は殆どありません。

 

纏めると、手に汗握るエンターテインメント作品としては素晴らしいものだけれども、原作が恐らく読者に提起したかった問題意識とは大きくかけ離れたものになってしまったのでは、という感想です。

大前提として戦争は絶対に避けなければならないことであり、日本や世界各国の平和を維持する為に、日本はどうあるべきか?と考える良いきっかけを原作は与えてくれましたが、映画は少し違う印象でした。

原作の最終巻が年内に出るはずです。中国から読むのをとても楽しみにしています。

なぜSchwarzman Scholarsなのか

 

数ある修士プログラムの中で、なぜSchwarzman Scholarsを選んだのか。私の場合は、有難いことに勤務先から派遣して頂けるものだったということもありますが、自身が関心を持つ中国に住みながら、世界中の若きリーダー達と共に学べるというのが最大の理由です。私は将来日中の懸け橋になりたいと思っており、プログラムの魅力的な点として、①中国に特化したプログラムであること、②ネットワーキングが期待できること、③講座の豊富さが挙げられます。

 

①中国に特化したプログラム:

国際社会における中国の重要性が高まっていることは衆目の一致するところです。そのような中国で実際に生活をしながら、中国の政治や経済体制、文化等について学べることは、どのようなフィールドで仕事をする人にとっても非常に有意義だと言えるでしょう。また、座学に限らず、Deep Diveと呼ばれるfield trip等の機会もあり、北京以外の都市について見識を深めることも可能です。Deep Diveでは、例えば宝鶏市(テーマ:社会発展)、成都市(都市化)、厦門(一帯一路)等を選ぶことが出来ます。

 

②ネットワーキング:

これを一番の魅力と捉える学生も多いのではと思います。Schwarzman Scholarsでは世界中の未来のリーダーと寝食を共にしながら1年間勉学に励むことで、国や分野を超えたネットワークの構築を目指しています。

このプログラムは米国スタイルのものとしては珍しく、「入学時点で28歳以下」という年齢制限が設けられています。入学時点での学生の専門性や具体的なスキルよりも、将来様々なフィールドで活躍し得るというポテンシャルを重視し、共に成長しながらネットワークを構築することを目指しているのでしょう。

また、学生は米中が6割以上を占めます。両国の対立が激化する中、若者が現状をどのように捉えているのか、生の声を聞けることも非常に楽しみにしています。

 

③講座の豊富さ:

①にも関連しますが、中国という国を公共政策、ビジネス、経済、国際関係学等の幅広い観点から捉えるべく、多くの講座が用意されています。講師陣も清華大学は勿論、ハーバード、オックスフォード等の一流大学から来ていますし、政治・経済のトップを担う方による特別講座等も実施されます。例えば今年5月のオーストラリア総選挙の際には、ケビン・ラッド豪元首相が訪中しており学院内でレクチャーをして下さったとのこと。また、リーダーシップ講座も全員受講必須で、知識に限らず「人間力」も向上させることを目指しています。

 

興味がある授業を少し挙げてみると、China's Rise in Compartive Perspective。中国型経済モデルの発展、その限界についてのプログラムです。また、他にも2009~2011年まで米国のアフガニスタン大使を務めたEikenberry氏による、軍事/外交におけるリーダーシップに関する授業もあると聞いており、大変興味を持っています。

 

尚、このプログラムは「広く、浅く」学ぶという印象もあり、専門性をとことん極めたい人にとっては必ずしもベストではないかもしれません。但し、専門性を極めつつも大局観を養うという点では非常に有意義なものだと思います。

 

いわゆる修論のような卒業プログラムにも学生全員が取り組みます。私はとりわけ関心がある安全保障の分野で、中国から見た日米安保体制や、経済的な相互依存性が戦争の抑止力となり得るか、等について研究をしたいと思っています(実際にプログラムが始まったら変わるかもしれませんが)。安全保障と経済の論理が交差する今、改めて学問として取り組むのは意義あることと思います。

 

私は今まで、何か目標を決めたらそこに到達するまでの努力は惜しまないけれど、達成時点でピークを迎え、それ以上の大した成果を出せない傾向にありました。その場に行きさえすれば、「場」がなんとかしてくれるという他力本願さがあったとも言えるでしょう。20代後半にして、ようやく自主性をもって人生を歩むことの重要性に気づき始めたため、今回の留学では悔いの無いよう、自身の人生をデザインするつもりで取り組んできたいと思います。